今の知識と経験を持って
29歳の知人が「今までの経験を持って過去に帰ってやり直したいと思うことがしょっちゅうある」と言ったのでびっくりしました。
まさに、私だからです。
今ならわかるのに、今ならできるのに、どうして母が生きているときにできなかったのか後悔ばかりしているのです。
母だって愛情うすい家庭環境で育ち、どんなに心細く、寂しかったか、だから、こんな性格なんだって、理解してあげられるのに。
いや、理解してたのに、許せなかった、私。今なら許せるのに、だって、だれだって完璧じゃないんだから。
1人旅から帰ってきて夫に、ものをなくしたり、損をしたり、嫌なことがあったと愚痴っていたら、いいことはその倍あったでしょう、と言われました。
4年ぶりに知人と再会して楽しかったこと、道に迷ったとき親切にしてくれた人々、いろいろな発見があったこと、旅館のおじさんからプレゼントをもらったこと、落としましたよ、と教えてくれた人、私のために心を使ってくれた人がいたこと、そんな話が先にできない私の思考回路は昔からのモノです。
母のことも、してもらえなかったことばかり恨んで、悲しかったことばかり反芻して、恐ろしいくらいの愛情は無視していました。
私が欲しいのはお金じゃない、と心で叫びながら。
私のために一生懸命働いてくれた母。でも幸せそうじゃなかった母。
笑顔がなかった母。
自分で幸せになろうとしない母に腹をたてていました。
今、母を幸せにしてあげられなかったことが苦しくてなりません。
親を幸せにするために生まれてきたんじゃないよと言われても、私は母を幸せにしてあげたかったんです。
どうして、その気持ちに素直に従わなかったのでしょうか。
答えが見つからない
何がなんだかわかりません。
仲良し母娘なんて、誰かが作った価値観通りにならなくていい、という人がいます。
私の頭の中には、サザエさんのような家族関係が理想とするステレオタイプの価値観があります。
今朝の新聞には、食事を一緒にとろうとしない夫についての人生相談がありました。回答者は、夫婦ってそんなもんです、だれでも脅かされたくない個人的な領海があるのです、と答えていました。びっくりしました。夫婦はいっしょに食事しなければならない、当然だと思っていました。
母も一緒に食事しない人でした。何かまだ用事があるから台所にいるのだと思っていました。「お母さん、早くこちらにおいでよ」と言っても来ず、見に行くと新聞を読んでいました。私は一緒に食事しない母を疎ましく思っていました。母は、いつのころからか、食事を作って食事をする部屋に運んできて、先に食べておいてと言ってずっと台所から出てこなくなったのです。
何かが母の気に障ったのでしょう。
母は言葉で解決する人ではありませんでしたから、答えはわかりません。
ずっとテレビばかり見て、母を無視していた私たちに対する無言の抵抗が、そんな形として、出たのかもしれません。
私が家を出て、父と二人になっても、たぶん一緒には食事してなかったのではないでしょうか。
私たちには言ってもわからないと思ったのでしょう。見限られるほど、母をないがしろにしていたのでしょう。
私は、酒乱の父と再婚して、私の幼児期を恐怖の歴史にした母を憎んでいました。なぜか酒乱の父には面と向かって言えないことを母で解消していました。
そのことについて、一度も謝ったこともありません。
謝っていたら、母の気持ちも教えてくれたかもしれません。
いろんな母娘の関係があってどれも正解です。
でも、私は仲良し母娘になりたかったのです。その気持ちをどうして伝えられなかったのでしょうか。
あんなに時間があったのに。
2年目のほうが苦しい
お母さん
また韓国に行ってきます。
「なぜあなたが、こんなに韓国にハマるんだろう?」
母は不思議がっていました。
私が7カ月で亡くなった父は戦争中ピョンヤンに住んでいたそうです。
だからかもしれません。
私は父の顔も何もわかりませんから、父に対しての深い思いはないのですが、父が亡くならなければその後の私たちはここまで苦しくなかったと思います。
数少ない父の写真は私にそっくりです。
どんな人だったのでしょうか。
私のこの嫌な性格は、酒乱の義父の影響が大きいです。この父との出会いさえなければ、母も私も少しは幸せだったかもしれません。
そして、母は共依存のように、あんな父に添い遂げげました。
そして、私の人生で唯一よかったことは夫(義父)を幸せにしたことと言った母。
あなたを生んだこととは決して言うことはありませんでした。
仲良し母娘になりたかった
旅人さんへ。
息子さんが自死されて、亡くなって初めて気づいたことを毎日のようにつづられていた”旅人”さんのブログは、2020年9月でぷっつり終わっていました。
今頃、どうしていらっしゃるのでしょうか。
私も母の死で後悔しており、2年たちましたが、その苦しさに身もだえするほどで、共感してもらえそうな人を探す毎日でした。
母は自死ではありませんが、旅人さんと生い立ちや、性格や年代がかぶり、ブログを読み返しては、少しは気持ちがおさまっていたようです。
旅人さんは、この気持ちと死ぬまで付き合っていくと覚悟されています。
違うブログでは、この懺悔を墓場まで持って行くと表現されている”海”さんという方もいました。
決して癒されることないであろうこんな気持ちを抱えている人がいると思うことで、なんとか生き延びています。
私も書くことで、何か生きる目的が見つかるだろうか、と思って始めてみました。
旅人2号として・・・