お母さんはなぜ自分のためにお金を使わなかったの?

お母さん。

家を建てる時、お母さんが700万円くれた。

夫に渡した。

私たちは働いていたから、自分たちでなんとかするつもりだったのに。

お母さんは、4畳半ふたまの県営アパートに住んでいた。

どうして、自分のために使わなかったの。

もっといいところへ転居すればよかったのに。

夫がごみ屋敷とぬかした、お母さんの終の棲家。

そんな夫が急に大学に行きなおすと言って、母は400万円やった。

どうして自分のために使わないの?

夫がお母さんに何をした?

どうして夫なんかにお金をやるの?

どうして死んでからもお金を残したの?

全部、自分のために使ってほしかった。

全部、自分の幸せのために使ってほしかった。

特に夫なんかにやってほしくなかった。

ごめんね。結局、私があんな奴と結婚したのが悪い。

お母さん。産まなければよかったと日記に書いていたね。子育て失敗したって言ってたね。ほんとに、そうだよ。私、生まれたくなかった。こんな人生なら。

自分が価値のない人間として生きていく人生。

勘違い人生。

幸せだと思っていた瞬間、お母さんは孤独だった。

それに気づいた今、人生ほんとうに意味がなくなった。

いつも、いつも、いつも気が重い。

いつだって、死んでもいいと思っている。

なぜか一緒に住んでいる夫、娘・・

この人たちに、お母さんとの接点になってほしいと思っていた私の馬鹿さ加減に反吐が出る。

自分が向き合うべきだったのに。

できなかった。

できなかったんだから、仕方がない。

それだけの人間だったんだから。

いまさら、どうしようというのだろう。

お母さん。二度とやり直せない今までの人生を、どうしたら償えるのだろう。

本当のお父さんが死ななかったら。

あいつと再婚しなかったら。

夫が慈悲深く、母にやさしい人だったら。

娘が人懐こく、母になついてくれていたら。気が利く一言でも言ってくれていたら。

私が夫と結婚なんてしなかったら。

たくさんの選択肢を選び間違えて、今、ここにたどりつき、

聞く人が聞いたら、情けない愚痴を書いている。

このように、無駄な残りの人生を生きる。

たぶん、母が孤独だったのと同じ時間を、傷口に塩を塗られるような痛さに耐えながら、心で泣きながら生きるのだ。

こんな人生の終わりになるとは、思いもしなかった。

 

何もかも失敗

母の還暦も古希も喜寿も傘寿も米寿も何もお祝いしていない。お祝いすると早死にすると、そんなばかばかしい迷信を信じて。

ほんとは感謝したかった。ありがとうと言いたかった。

なのに無視して。

おかあさん。ありがとう。何度伝えたかったことか。

どうして意地をはったのかわからない。

お母さん。

ありがとう。ありがとう、ありがとう。

でも、今更何度言っても遅すぎる。

いまさら、今更、遅すぎる。

いまさらいまさら、何を言っても、お母さんは、死んでしまった。

お母さんは、この世にいない。

私も早くこの世を去りたい。

こんな犯罪者みたいな人生を終わらせたい。

遅すぎる

今ならわかるのに

どうやって付き合えばいいか

まともに付き合ってこなかった母に対して

どう付き合えばよいかわからなかった

今ならわかるのに

どうして死んだあとなのか

まともな小学生時代を送れず

まともな中学生時代を送れず

まともな高校時代を送れず

まともな大学時代を送れず

学生時代につけるべき学力も、友達も、何も残っていない

そして、家族との楽しい思い出が何もない

あいつのせいで

あいつのせいにするしかない

母が再婚した酒乱の男

あいつのせいでいつも機嫌が悪かった母

あいつのせいで幸せになれなかった母

でも、それを選んだのは母

そして犠牲になったのは私

でもそれを理解してやれなかったと苦しみ続けている私

ポンコツな社会人の私は今考えるといい加減に働いた

今なら迷惑をかけずに働けただろう

社会人時代の友もなく

結局ひとりぼっち

それでも家族を持ち、幸せを手に入れてやったと思っていたが

私がほんとにしたかったことは

母と仲良くくらすこと

母に幸せになってほしかった

 

旅人さんは今

自責の念に苦しんでいた旅人さんのブログを読んで共感していました。

私も苦しい。

人を傷つけた人、もう取り返しがつかないことをしてしまった人はどのくらいいるのだろう。

まさか、そんな人生になろうとは思いもしなかった。

いまさら気づいても遅いが、今ならわかるのに。

今ならできるのに。

どうしようもない思いをしている人はどのくらいいるのだろう。

3年前でぷっつりと終っている旅人さんのブログ。

書き続けるのもエネルギーがいるから疲れてしまったのかもしれない。

でも、また読みたい。

どんなふうに気持ちが変化していくのか知りたい。

死ぬまで持っていくことになるのはわかっているけれど。

私は年々苦しくなる。本当に孤独だ。

私が母を愛しているにもかかわらず、許せず粗末にしてしまったことに、取り返しがつかないことをしてしまったといまさらながら苦しんでいる。

その原因が成育歴にあったと思いたがっている。

大切にされなかったという思いがある一方で、母なりに精一杯尽くしてくれたのを認められなかった自分が情けない。

私が、成育歴のせいで、こんな情けない人間になったのだとしたら、娘がこんな風になったのも私のせいだということになる。

娘が私のものを売り飛ばす人間になったのは私のせいだということだ。

彼女にとって、使わないものはごみ、私の母が私にくれたり残してくれたもの、私が使わずにおいているものは、場所をとるごみでしかなかったのだ。

大切に集めていたハンカチや、本類をいつのまにかメルカリで売り飛ばしていた。ものにこめられた私の心もごみということだろう。

どうして人のものを勝手に自分の金に換えることができるのか、不思議だ。世間には人を殺して金を奪う人間もいるから、娘はましなほうだろう。

娘や夫は、それくらいのことで、いつまでも根に持つなんて、最低な人間だというに違いない。

夜になると、憎しみがわいてくる。夜はそんな時間なのだろう。

因果応報と自分をなぐさめる。傷つける側は傷つく側の痛みがわからない。私も母をはじめ誰かにしたことが返ってきているのだろう。家族だから許さなければと思うのも苦しい。本当に許せないからだ。

お母さんも私を許さなくていいよ。冷酷な私を。

私も私を許せそうにないよ。

だから苦しい。わかっていても、自分を含め、許せないやつが消えてくれない。

今はそんな状態。

 

夫に母のものを捨てられる

だれかにとっては宝物でもだれかにとってはごみだ。

母の遺品は夫にはごみだ。

いつの間にか捨てられている。娘に至ってはフリマで売られていた。

家族といえども、当然、心は他人なのだ。別の人間なのだから。

捨てられたことがわかったあとは、とても落ち込む。

死にたくなる。

存在を消したくなる。

どうしてだろう。単なる物なのに。モノを捨てられたからといって、母の存在はそのままなのに。でも、母のものはすべて愛しい。母のものをすべてとっておきたい。

なのに、私のために買ってくれたものはすべてといっていいほど、盗られたり、捨てられたり、売られた。すべて私の管理が悪いということだ。

すべての責任が自分にあるなら、こんな自分を消したくなる。

。。というわけだ。

こんな時、自分より不幸な人のことを考える。

かわいい子や孫を不注意で亡くてしまった人のことを。

愛する家族を誰かに殺されてしまった人のことを。

これ以上の地獄があるだろうか。

それでも、私の苦しみもそれなりの大きさだ。

母を幸せにできずに、死んだ後に気づく数々の感情に、押しつぶされる日々だ。

 

 

かわいそうな母

娘に「身内を失った人の気持ちは同じ経験をした者でないとわからない」というと、「確かに私にはわからない」と言った。

母は娘にとって身内ではなかったのだ。

母は孫娘のために、羽子板を送り、3歳と7歳の着物を作り、学資保険に入り、帰るたびに500円玉貯金でためた貯金箱をくれ、私たち家族のためにたくさんの援助をしてくれた。娘の成長を楽しみにしていた母。

でも、母も上手に表現できず、娘を連れて帰っても抱くわけでもなく、淡々と接していた。

私が娘に「どれほどおばあちゃんがあなたを愛しているか」を語ればよかった。しょっちゅう連れて帰ればよかった。

とにかく、母には身内は最後まで私だけだったということだ。

なのに母をそまつにしてしまった。

「取り返しがつかないこと」それは、人の死だ。時間さえも取り返せる気がする。

生きてさえいれば、そこからやりなおせるから。

母の人生をかけて貯めたお金を私たちに注いでくれたのに、感謝しない娘や夫。

彼らは他人だから仕方がない。他人に期待せず、自分が、私自身が、勇気を出して、本当の気持ちを、「仲良し母娘になりたい」と母に伝えればよかったのだ。

20年もひとりぼっちにして、ほんとにごめん。

早くそばに行きたい。この申し訳ない気持ちから逃れたい。